
森下くんは弦楽器作家
丘峰喫茶店のマスター(私の夫)森下諒平さん(33)の本業は、弦楽器の製作家です。 学生時代、新聞奨学生として寮で暮らし、朝夕と新聞配達をしながら大学へ通ううちに「自分で学費を稼いでまで学びたいことを今学べているのか」と疑問に感じ、昔から好きだったものづくりの道へ進むことを決意。ギター製作の専門学校へ通い直し、卒業後に独立しました。 「独立」と言っても、本当は全国で幾つかのギター工房を回り、弟子入り先を探したのですが、どこも門前払い。森下君は「断られても何度も頭を下げる根性が無かった」と振り返りますが、そのとき、断られた職人さんのひとりに「手を動かし続けていないと、ただでさえ無い技術が本当に無くなるぞ」と言われたことが心に響き、卒業後もアルバイトの掛け持ちをしながら、製作を続けてくることができたと言います。 そのうちに「自分の作ったギターを好きな人に弾いてもらいたい」と思うようになり、気になるミュージシャンのライブに足を運び、作品を試してもらうようになりました。そうした努力が実を結び、彼の作品を使ってくれる方も少しずつ増えています。 5月3日には、

古民家・源左 みんなが集まる場所に
私たちが暮らす大音集落では、各家に古くから使われてきた「屋号」があります。大家の横関隆幸さんの屋号は「市右衛門(いっちょも)」さん、その畑は「いっちょもの畑」です。同じ名字の人が沢山いるので、集落の人は互いの屋号で呼び合うこともよくあります。 丘峰喫茶店の建物は、築350年以上とされる茅葺き屋根にトタンを被った古民家。かつての家主さんの屋号から「源左」と呼ばれ親しまれています。 今は綺麗な源左ですが、8年前まで、壁も床も腐りかけ、解体の話が持ち上がっていました。 話を聞いた余呉町の大工清水陽介さんが、源左を訪れて中を覗くと、湖北でも滅多に出会うことのないケヤキの梁の太さに目が留まりました。家主に「潰すのはもったいない」とお願いし、友人の横関さんが譲り受けることになりました。 清水さんと横関さんは、使い道も決まらないまま源左を直し始めました。「寂しくなっていく湖北に人が集まる場所を作りたい」。それが2人の願いでした。 そうして生まれかわった源左で、昨春から私たちがお店を始めることになりました。横関さんは「源左も嬉しそうだ」と喜んでくれます。来店され

丘峰喫茶店へようこそ
皆さん、初めまして。「お久しぶりです」とご挨拶した方がいいかもしれません。実は私、3年前まで朝日新聞で記者をしていました。 2010年に入社し、神戸、佐賀、大津と赴任。事件取材の傍、各地を訪ね歩くうちに、農村の暮らしや食文化に魅せられ、15年に退職。取材で知り合ったギター職人の夫と一緒に、賤ヶ岳(長浜市木之本町)の麓にある「大音」という集落で、田舎暮らしを始めました。昨春には、築350年と言われる古民家で「丘峰(きゅうほう)喫茶店」という、手作りランチと喫茶のお店を開店。夫婦で試行錯誤をしながら、日々の暮らしを楽しんでいます。 移住してから知ったのですがこの大音集落、冬は一晩で1㍍を超える雪が降ることもある「雪国」なのです。大津で2年間暮らした私にとって、ご近所さんの車庫から手押しの除雪車が登場するのを見たときには「同じ県内とは信じがたい」と驚きました。 という訳で、雪深い冬の間は思い切って店を休業。夫は本業のギター製作に打ち込み、私は2年前に一人で始めた出版社「能美舎(のうびしゃ)」の本作りに励んでいました。 気がつけば、フキノトウも花が開き、